老残のたしなみ日々是上機嫌

老残のたしなみ日々是上機嫌、佐藤愛子、集英社文庫、2003年1刷、2020年17刷

 

本屋でばらばらめくると、

『人が老いれば若い人たちの迷惑にならぬよう、老人自らが望んで老人ホームへ行く。情を断ち孤独に徹すを決めるのが当り前のこととして誰も疑いも持たない』

 

 20年前のエッセイ。今の考えに疑いを持ってみようかと思って購入した本。

 

『昔の年寄りにはどんな楽しみがあったのだろうか?…忙しいおばあさんも忙しくないおばあさんもそう楽しい日々を送っているようには見えなかったが、そうかといってつまらなそうにも見えなかった。年をとるというこてはこういうものだと思って一日一日の流れに身を委ねているというたたずまいだ。エネルギーが年相応に涸れていったということもあろう。エネルギーと長寿を得た現代の年寄りは長い老後を何らかの形で埋めねばならない。やれ旅行、カラオケ、ダンス、習いごと、食べ歩き、と外へ楽しみを求める。私のように外へ出るのがきらいなばあさんは、新聞を見ては世を憂い嘆き怒っている。それば私の老いの楽しみかもしれない。今の老人の不幸は役に立てないということ。一時生きがい論が盛んになった。もう生きがいなんてあきらめてただ楽しめばいいということになってくる。外国旅行にいったり、温泉めぐりをしたり…しかし遊びは初めのうちは楽しいけれどしょっちゅうやっていると飽きてくる。楽しくなくなる。仕事というものは飽きない。何らかの役にたっているという満足がある』

 

 才能ある作家の仕事は、凡人と別格と思うが、思いが及ばないことばがあふれる。仕事収入で生活する世代と年金収入で生活する世代の違いは体力だと思う。すぐに快復できない疲れ、機能の衰えもある。きょうは仕事で、役にたっている高揚感があり、どうすれば効果が増すかの思考もめぐり、若い人の思考も新鮮である。しかし、一日が終わっての身体のだるさはいかんともしがたく、体力の限界かとの思いも沸く。