老いの落とし穴

遥 洋子 著 老いの落とし穴 幻冬舎 2020年11月

 

高齢者は死ぬのを待つ時間でいいのか……命が終わるまでもっと人生を楽しんではいけないのか。死ぬのを待つという生き方は残酷に思えてならない。……老いは、自分のどこが老いているのか、本人が気づかないことにある。……老いとともに、身体の不自由さが増すほどに環境を老いに合わせて変化しなきゃいけない。……人生を楽しむというのにもトレーニングが必要で、楽しみそこなった人は楽しむことに恐怖し、拒絶する。……私は父親と1時間遅れただけで大喧嘩になった……父親は1時間待っただけではない、朝、布団の中で目が覚めた時から娘の到着を待っていたのだ。……愛情がないのではない、気づかないのだ。そして気づかない人は致命的に介護ができない。見ていない、気づいていない、関心がないのは、そのプロのほうに問題がある。……日常を生きている圧倒的多数の人たちの喜びとはお菓子だ。自粛で制限されて思い知った。人間の喜びとはこの程度のものであり、これが最大だ。そしてその気になれば万人に手が届く。

 

老いは誰もが初体験で「ええ!こんなことになるの!」と身体の老いと出会う度に驚く。その延長線上に死がある。死までいったいいくつの驚きを経るのだろう。その驚き度合は前もって知っておくほうが得先だ。心構えもできるし、そうならない方法を探ることも可能だ。介護とは「死にたい」という嘆きを聞きながら、それでも生きる努力のお手伝いをする行為なのだ。一個一個の苦痛を取り除く手助けをすること。それはお年寄りの苦悩をちゃんと聞いてあげることからしか始まらない。……自分が実際に老いた時は他人にまかせるしかない。本当の老いがくる。目の前のお年寄りと関わろう。老いを先取りするのに、彼らくらい手立てを提案してくれる存在はいない。

 

 楽しめる心を鍛える。人間の喜びとはお菓子だ。お年寄りは老いの手立てを提案する。

「そう そう そう」と日常生活を共感しながら読んだ。仕事では、気づかない自分を鍛える想像力を、先輩職員の行動言動で日々学んでいるつもりだ。とはいえ、体調が変化する利用者さんのケアの変更についていくだけで精一杯というところ😢 変化はしんどい方へ向かい、つらいだろうなぁ。いつか自分も辿る道ならばこそ、今のうちに楽しむ心を鍛えておこう。

 きょうの仕事も疲れた。夜8時に就寝。